2008年2月アーカイブ

古来おこなわれていた宮廷での端午の行事は、鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。

しかし、武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ=しょうぶ)の気風が強かった様です。

それで、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の日として祝うようになりました。


それが江戸時代になると、5月5日は徳川幕府の重要な式日として定められました。

大名・旗本が、正装で江戸城に集まり、将軍にお祝いを奉じるようになりました。


将軍に男子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。


このような時代の変遷のなかで、薬草(菖蒲)で邪気をはらうという端午の行事が、男子の誕生のお祝いへと結びついていったと言われています。


やがてこの風習が武家だけでなく、広く町民にまで広まっていきました。

はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形なども飾るようになっていったのです。

さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが立てられるようになりました。
平安朝時代から、子供らはショウブで飾った紙のかぶとをつけ、石合戦などの遊びをしていたようです。

元禄時代の頃には、紙や木でつくった菖蒲人形を庭先に立てるようになりました。

それが、いつしか室内に飾るようになり、人形美術も発達して種類も増えていきました。



室町時代から武家では5月5日の端午の節句に、竹竿に布を張り「吹き流し」 を立ててました。

江戸時代になってから、これが町人も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて対抗して楽しんでいました。

コイはもともと威勢のいい魚です。

昔から「鯉の滝上り」などと伝えられ、子供が元気に育つようにという親の願いが「鯉のぼり」にこめられています。


これが現代まで続いていて、端午の節句に鯉のぼりをあげています。

鯉のぼりの歌も2通りに、異なっているようです。

「大きい真鯉はお父さん」と歌う人と、「大きい緋鯉はお母さん」と歌う人がいます。

私は「大きい真鯉はお父さん~、小さい緋鯉は子供たーちー」と覚えていたのですが

嫁は「大きい緋鯉はお母さん~、小さい真鯉は子供たーちー」と歌っていました。


地方によって、歌が違うと思っていましたが、実は、1番と2番があるようです。

1番が「大きい真鯉はお父さん」

2番が「大きい緋鯉はお母さん」

であり、どちらも正解ってことですね。

鯉のぼりが父子家庭や母子家庭ではなくてよかったです。



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